■発声法
文章に表すことで、個々の発声が正しく伝えられるのか、となるとこれは難しいものがあります。
指導する側が、経験を積まない限り、どこに欠陥があり、どのような指導をすればよいか、大変
難しい事だと思います。指導する側の表現力、ボキャブラリーの豊富さによって、どれだけ伝わるか、相手の感性にどれだけ歩み寄れるかにもかかわります。ですからここでは、誤解を招かないための配慮として、だれにでも共通して分かっていただける表現にとどめたいと思います。

健やかな声は、前にも述べましたように力みを抜く事と、表裏一体であることが理想です。
穏やかで、なおかつ生き生きとした自分をイメージし、嬉しいこと楽しいことのメッセージを、誰かに伝えることを考えてください。例えば、母音のイ・エ・ア・オ・ウの順に、日常的に使う言語で単純な言葉を使って練習してみてください。
 
■明るい、ご機嫌な即答 
「いいですよ〜」「イエース!」など、ご機嫌で即答するように。
この場合、声にスピード感があり、生き生き感があるはずです。
「ええ、ええ、いいですとも!」「あら〜すばらしいわ〜」「オーケーよ〜」「うわ〜すてき!」
といった具合に、素早い肯定、ご機嫌な肯定であることがポイントです。

■声の距離感
遠くの誰かにそれを伝えるように、体全体で喜びを伝える自分をイメージして下さい。
多分の演技力が必要かもしれませんね。

■声の持続
さらに遠くの誰かに伝えるように、声を長く伸ばしながら言ってみましょう。
 
私たちは、気付かないでいますが、喜びを表すか、悲しみを表すかによって、それぞれに異なったメカニズムが働きます。喜びを表す時、呼吸が深くなり、活性化します。咽頭部の軟膏蓋(上顎のやわらかい部分)がわずかに引き上げられ、顔面の筋肉も引き上げられて、笑顔になりますね。
このメカニズムが、いい声を出す秘訣なのです。自然に、共鳴が鼻空にまで届きやすくなるのです。これは歌う場合の発声の原点ともいえるのです。
「喜びの声?どうやって出したらいいんですか?」と言う方がいますが、ちょっとだけ、自分自身の内側に心を向けて、ニヤッとするような事柄を思い出してみてください。その時どんな表情、どんな様子、どんな声を出した自分がそこにあったでしょうか。きっと、優しく生き生きとして、
素敵なあなたがあったと思います。いい声を出すことって素敵じゃありませんか?
そんなあなたの声を聞く周りの人も幸せになると思います。弾むような声を忘れてはいけません。
楽しいトレーニングでなければ長続きしません。子供にかえったように、余りしかつめらしく考えないで、楽しんでやってみてください。

私がかって師事していたイタリア人の先生は、子供が嬉しいことを真っ先にママに伝えたくて、「ママ〜!」と叫ぶ声は、信頼、喜び、愛情、に満ちた「素晴らしい声」の原点である、と言われました。「大人になると忘れてしまうが、それを歌い手は忘れてはいけない」とも言われたことが、いまでも心に深く残っています。

■声を綯(な)う。
ちょっと難しい表現かもしれません。
習字を例にとりましょう。筆の穂先を声に例えてみましょう。
あなたの声は穂先を整え、細い線がすっと書きだせる状態でしょうか。それとも、ばさばさで、
穂先を整えないまま書きはじめるような状態でしょうか?
硯の陸のところで、含んだ墨汁とともに、穂先を整えるのは、書き始め、即ち入筆の瞬間が,きっさきするどく、美しくあるためです。声も同じことが言えます。
呼吸を整え、息から音声に変わる瞬間、丁寧に美しい状態であることが望ましいからです。
要は、乱暴に出さない、瞬時に丁寧に出すことをして頂きたいのです。
さらに別の言い方をすれば、針の穴に糸を通す際、糸先をちょっと口に加えて濡らし、先をとがらせて通す、そんな仕草と同じことなのです。
朝起きて、その日初めて発する声は、からだと同じでまだ寝ぼけています。その時ちょっとだけ
発する声のことに留意してみましょう。出来れば、声をお腹からの呼気と共に出すために、お腹の目も覚ましてあげる必要がありますね。そして、先にも申しましたように息が体をめぐるように
(ジラーレ)整えてあげますと、その日の声の調子はきっとよくなることでしょう。
それを称して、「声をなう、声を縒る」と言うことなのです。

声のトレーニングは、脳の活性化に素晴らしい働きをします。

自分の楽器を知り、その調整をしる。(脱力は?支えは?姿勢は?等など)体すべてに、心をめぐらし、体感する。・・・・・失体感症にならない。健康管理と美しくあること。
声の共鳴を感知し客観的に自分の声を感じる作業がある。
(悲しいかな、自分の声は外からは聞けません。人が聞くのとは違う。)常に自分を客観的に見ることを
余儀なくされる。
感情移入、表現力、を養う。・・・・・失感情症になることなく、年をとっても魅力的でいられる。
従って、おしゃべりが楽しくなり、人間関係が豊かになる。等など
 
 
■生身の楽器のスピーカー
たびたび申し上げましたが、体を整えること、即ち上半身の脱力、下半身の支えが整えられ、
正しい姿勢がたもたれることが第一です。更に大切なことは声自体がいい響きであることです。
それは、自分の体に供えられた、共鳴体を十分に使うことです。ジラーレのところを参照して
下さい。では共鳴体(スピーカー)についてお話しましょう。

皆様におなじみの、スピーカーには、低音部、中音部、高音部の三つの大中小があることは、
どなたも御存じだと思います。
私たちの体もそれと同じようにスピーカーと同じ構造があります。
共鳴空については部分脱力の項で、一部をすでにお話しいたしました。
付け加えて、共鳴空のおよその位置を図解で示したいと思います。

■声帯について
私たちの声帯は、人によって個人差があります。
声帯の厚さ、幅、長さ、の違いによって声の高低が異なります。又、弾力性のある声帯か、硬
いかによっての違いがあります。滑らかな声帯、ざらざらした声帯、等、私たちの肌のきめの
違いのように、それぞれに異なります。
声帯のすぐそばに、仮声帯と言うものがあります。
この働きは、個々によって異なるようですが、人によっては、この部分を緊張させる人も少なくありません。穏やかな、自然な発声をする限り、強く緊張させる必要はないのですが、この部分が、力みと深くかかわっているように思います。

声はそれぞれ骨格、顔、内面も、思いも感情も一人として同じではないように、それぞれに異なります。
ですから、発声された声によって判断するしかありません。そこが難しい所ですね。
よく、私のところに訪れて、指導してもらえば上達すると、依存的な感覚でいる方は、なかなか上達しないのです。ご自分で、気がつくこと、「あ〜そういうことなのか!」と目から鱗がおちるという発見と体験を積んで、初めて会得し、上達できるのです。本人の努力と私の指導の力量は、半々、いえ、本人の気が付く能力によるところの方が大きいかも知れません。ご本人のやる気であり、意志力です。目に見て、形で確認できない、まさぐることであり、感覚の世界なのです。

声には、呼吸、感情、言語、が伴い、相手に伝達するという働きがあって、はじめて命が吹き込まれるのです。そして結果、魅力的なご自分に出会えるのですから。

■話し上手になるために
脱力法、呼吸法、発声法について大まかなことをお話ししましたが、最後に一番大切な、「声」
を駆使しての、会話について述べたいと思います。
日本語について、先にもお話ししましたが、日本語を話す私たちにとっては気がつかないことも、
外国人から見ると、日本人独特のものがあるようです。表情が乏しい、かしこまっていて未だに裃を着ているようだ、と言われたことが、印象に残っていますが、あながち否定の出来ない側面が
あるように思います。
 
■日本語は、謙譲語、尊敬語、等など言語の使い分けが、はなはだ多い国です。
表情の乏しさは、そこにも原因があると思います。
私の家の近くに聾唖学校があります。通学の途上彼らの楽しそうな会話を(手話と発声)見ていた私は、はっと胸を打たれたのです。なんと豊かで魅力的な、生き生きした表現力なのだろう!
目が輝いていて、互いに目線をそらすことなく、しっかりと受け止めようとしている感じが伝わってくるのでした。確かに、彼らはろうあ者ですから、限られた手話での表現を、より正確に互いに伝え合うために、目線を離すことはないでしょう。私はそこに、会話の原点を見たのです。
 
日本語は発音こそ単純ですが、言語としては大変複雑です。言葉が豊かであることは素晴らしいと思うのですが、その反面、言語に頼りすぎて、真意を伝えるための思いと表現が少しずつ欠落していったのではないかと、ふと思ったのでした。
私たちが、乏しい外国語で、その国の人々と会話するとき、同じようなことが言えるのではないでしょうか。どうしても大切なことを伝えなければならない、切羽詰まった状態のときも同じでしょう。初めて誠心誠意、心をつくし精神を尽くして言葉を用いることができるのだと思います。
今時そんな会話なんて「うざい!」と言われるかもしれませんが、結局うざがってしまった結果
人間不信に陥ってしまうのではないかと危惧するのです。
 
■会話の原点
第一に、相手に伝わらなければ、意味がないということです。一方的であってはだめなのです。
言ってみれば、声の(言葉の)キャッチボールですから、届くようにボールを投げることですね。
剛速球が顔面直撃!なんていうことになってはいけません。
また、捕球をしないで知らんぷりでは失礼ですし、これではプレイになりません。
幼い子供に、あなたはどんなボールを投げてあげましたか?
「は〜いボールが届きますよ〜しっかりだっこしてあげましょうね〜」と子供が受け止められる距離から優しくボールを投げたことでしょう。うまくゆけば、「上手上手!」と褒めてあげたはずです。それが会話の原点ではないでしょうか。
恋人同士でも同じこと、あんなにはにかんで愛らしかった彼女が…あんなに優しかった彼が…
いつからこんな風に・…互いに豪速球をなげあうようになってしまったのでしょう。
今は、言葉が乱れ、会話能力が欠落しつつある時代であると、よく耳にします。困ったものです。
言葉は相手に理解され、伝わってこそ言葉が生きることではないでしょうか。
そこには、不誠実さ、甘え、と言ったマイナーな感情が優先することから、徐々に目には見えない凶器になってしまう訳です。人間から、「愛」「愛しみ」を失ったらいったい何が残るのでしょう。
動物や植物に対しても、人間が愛しむことを失ったらどうなるのでしょう。
愛しむ、愛する事で人も動物も豊かに育ち、草木も美しく花さき、実り、繁るのだと思います。
それがわかっているのに、思うようにはならないもどかしさを感じますね。
健康であるためにも、心が安定するためにも、人と人とが和して行くためにも、すべての根源は、愛しむことであると思うのですが……。
 
■説得力のある話し方。
まず、腹式呼吸で話すことを心がけてください。何故なら、抑揚、リズム、呼吸、間合の取り方が、自然に豊かにできるようになるからです。脳の活性化が行われます。落ち着いて話す条件が整うからです。(脱力法呼吸法を参照にして下さい)
あくまでも真実を語ることです。
なぜなら、表情、目線、呼吸、声(トーン)、全てが、一致することが大切なのです。どこかに嘘や無理がありますと、伝達力、説得力は失われてしまいます。
そして、自分では間が持たない、と思われるかもしれませんが、ゆっくり話すことです。
ゆっくり話すことは、言葉を選ぶ時を稼ぐことでもあり、自分の脳の働きを順次活性化することに繋がって来ます。
又、目線をしっかり合わせることです。目は心の窓と言うくらいですから、心の窓が閉められていては意味がありません。視線を合わせることは、誠実さを示すためにとても大切だと思います。携帯電話での会話、メールでのやり取りからは、全く察知する事が出来ないもの、とても大切なものがあると思います。あとは、何事も経験ですね。
人が、集中して聞く事が出来る時間は、15分が限度であるといわれています。長時間にわたる話を、最後まで集中して聞くことができるには、話の内容にもよる事でしょうが、ユーモアも大事
ですね。聞く側の状況を把握する事「居眠りが出てきたな」「目線が落ちてきたな」などと、察知する配慮も大切です。一方的に自分のことばかり話す人がいます。その内容が面白くなかったら、
ただただ白けるばかりです。面白ければ、目線は離れないでしょうし、「あ、うん」の呼吸がある筈です。それが察知できないのは困りものですね。聞く側えの配慮、言ってみれば思いやり、愛情
ではないでしょうか。
 
■演じること
「人生すべからく回り舞台、どうせ演じるなら大根役者ではなく、いい役者になろう」
私たちは誰しも、人によく思われたい、と心のどこかで思っています。また格好良く、美しくもありたい、と思っています。でも見えないところではどうでしょうか。
演じるということはあくまで演技であって、真実とは違う場合もあります。
しかし真実は真実なのだから、と開き直ってしまったら、結構醜いものがあるのが現実でしょう。
それを余りにあからさまにしてしまうのは、相手に対しての甘えであり、傲慢でもあります。
自分自身で分かっているいやな部分を認めるとなると、大変な勇気が要ります。
あるがままの、等身大の自然体の自分でいることは、素晴らしいことです。そんな自分を思い描いても、なかなかそうなれないから、人は、いい子に見られたくて、いろいろバリアを張り巡らすのでしょうね。そして、心の安定を失ったり、心の閉塞感から抜け出せなくて苦しんだりするのだと思います。そこから抜け出すには、自分自身の本質を見つめようとする「意志」がなければ難しいことだと思います。
本来人間とは、本当の醜さは隠しておきたいはずのものですから。
此処で念を押して申し上げますが、演じる、と言う事と偽ることとは大きく異なります。
演じるのは、相手を必要以上に傷つけない、という配慮に基ずいたものであってほしいのです。
そこに、人間的な優しさ、思いやりがあってほしいのです。
また、自分自身が、少しでも美しくありたい、好感をもってもらえる自己表現をしたいと、思う
方に、嘘偽りではない本物の自分を美しく、表現するための演じ方を言っているのです。
心から出来なくても、演じてみてください。人を傷つけることがないように配慮することは、自分自身を傷つけないことでもあるのです。 

■間合いを置く
例えば、相手の言ったことに、折りたたむように「何言ってるのよ、それって違うでしょう!」と言ってしまいたい場合、性格的なものも深くかかわると思いますが、1234・・と深い呼吸をしながら待ってみて下さい!そして、「う〜む…そうね〜そういう考えもあるのかも知れないけれど…」と、自分にセリフを言わせてみましょう。(こういう時こそ呼吸法を生かしましょう!)
「間を置く」と言うのは、演じる場合大切なものです。相手にも自分にも、このちょっとの「間」がとても有効です。この「間」が相手を承認することにもなり、自分が冷静になる事にもなります。
なにごともほどほど、「あ!ちょっと度が過ぎたかな・・・」と思った瞬間に自分を制御する、コントロールをする事が出来るひとを、本当の大人と言うのではないでしょうか。
自分をコントロールすること、自分が醜くならないための(本物の麗しい人を望むなら)演技力とも言えるのではないでしょうか。 演技であっても、本気で演じているうちに、本物になって来るのだと思います。
それが心のおしゃれだと思うのです。心のおしゃれをすれば、自然に言葉はそれに伴ってきます。
貴方の「声」は、貴方自身を表す魅力的なものになるはずです。
 
■声の距離感
ある時、3〜4メートル離れたところで、私に向かって何か言っているらしいので「え?なーに?」と聞き返したところ全く同じトーンで「○×△□…」と言うので、「離れてるから聞こえないよ…なんていったの?」「だから〜○×△□…なの」またまた同じトーンでかえしてきます。「もっと大きな声で言ってよ!」「もういいよ」私はあたまにきて「目の前で話してる訳じゃないんだから、手が離せないんだったらちっとは届くように(聞こえるように)いってよ!」と言ったのです。「くたびれた!」「聞こうとしてる方だってくたびれるわよ!」・・・これは高校生の孫とのある日の会話です。くたびれているのは確かに本当だったと思います。私も耳が遠くなったのかな〜と反省したのですが、どうも最近の若者と話していると、確実に声の排気量が減少しているのを感じます。

これは、いかん!と思うのです。先にもお話ししましたが、声の距離感、声の持続力は、私たちの心と体で担う伝達力にほかなりません。マイクロフォン、スピーカーなどなどの便利なものに馴れてしまうと、大きな声、持続する声の出し方をそのうち忘れてしまうのではないか、それと同時に、そのような機能もどんどん低下してしまうでしょう。すでにその兆候は見られるようになってきています。腹式発声を身につけることで、声の距離感がわかるようになると思いますし、抑揚も自然につくようになると思います。

■声の抑揚
今の若い人達の会話の特徴は、デジタル化されたような独特のものを感じるのです。
言葉の流れの中に感じる抑揚とは、音の世界でいう1/f(F分の1)=ゆらぎを意味します。
風がどこからともなく吹きぬけてゆくさま、砂浜に打ち寄せる波が、伸びきるまで延びて自然に
引いてゆく様、大きなうねりがあると思えばいつの間にか凪いでいる海の表情、そのような自然界の動き、表情と共通する「ゆらぎ」のことです。
そのような「声」「言葉」が表わす表情は、聞く人の耳を自然に開かせます。心地よく聞くこと
もできれば、のめりこむように聞くこともできます。美しくもあり、説得力を増します。
日常的な会話も、よ〜く心して耳を傾けていますと、わずかずつでも抑揚のあるなしがわかってくることでしょう。抑揚のある話し方ができる人は、「音楽的」と言えるのかもしれませんね。
「間合い」「声の強弱」「抑揚」によって、初めて「リズム」の感じられる、生き生き感のある
話し方ができるのではないでしょうか。

■「重心」と言うこと
いままで述べてきたことを総括しますと、全ては「呼吸」に始まり「呼吸」に終わると思います。
「上手に緩めること」「深く吐き切る呼吸を覚えること」「心地よい自分の声を知ること」全て
心身の健康に繋がり、しかも魅力的な自分に出会い、配慮ある楽しい人間関係を紡ぐことができたら素晴らしいのではないかと思っております。
とは言え、人は楽しいばかりで生きているわけではありません。大半は、思うに任せない現実との闘いです。若いと思っているうちに、あっという間に時は過ぎてゆきます。
「腹をくくって、最後まで頑張ろう!」
さて、この腹をくくる等と言う言葉は、東洋独特の表現だそうです。
「腹のできた人」「腹の据わった人」「腹芸の出来る人」等などと言う表現があります。

ある意味で物事を達観した人、即ち、深い呼吸が身につき、どんなときにも我を忘れることなく、泰然自若としていられ、思考は深まり、判断力、直観力が高められることは言うに及びません。
丹田が定まると言うことは、余分な力みがなくなり、支えるべきところが支えられる、ということです。「重心」は「丹田」にありとでも申しましょうか、必要不可欠な腹筋が、常時程よく緊張していられる状態を保つには、年をとっても、程よく鍛えなければ(歩く、まめに動く、常時軽い運動を行う)なりません。そうして初めて、心身のバランスが理想的に保たれるのだと思います。
「重心」と言いますと、肉体的な面での表現に使われます。運動選手の場合にもよく用いられる言葉ですが、重心の安定は、心、精神統一と言った目には見えない内面の働きがなくては定まらないはずです。

声楽のレッスンを受けていた時、「重心を下しなさい」「重心を定めなさい」ということは、しばしば先生から言われたものでした。
「重心」と言う言葉を聞くたびに今までお話ししてきた事柄が総括的に浮かび上がってくるのです。
「声のおしゃれ」即ち、健やかな声は貴方を健康にし、心を安定させてくれると思います。

お互いに相対している時には、自在感を持って、生き生きと伝えることができるのに、文章で伝えることは難しい!とつくずく思い知らされました。どれほどわかって頂けたか、気がかりです。

私の話はこれで終わります。まとまりのない文章で、読みずらい面が多々あったことと思います。
その点はお許し下さい。なお、質問ご意見がありましたら、掲示板の方へ、お寄せ下さい。
時間の許す限り、まとめて、記載させていただきます。